ここ1年くらいとても思うのですが、なんか人生飽きてきたなー。
飽きませんか?
病んでるとかネガティブとかそういうのはなく、ただただ思ってしまう。
みんなはどう折り合いをつけてるのだろうかと思うので、気持ちの整理がてら記事に残そうと思います。
目次
なぜ飽きたと思うのか。人生の既視感ゆえ
社会人になるまでは、人生に飽きを感じることは今より少なかったです。
思えば、いつも何かしら変化する機会が自然とやってきていました。
幼稚園があり小学校があり中学校があり高校があり大学があり、それが終われば就職です。例えそのルートに沿わずとも、年齢が嵩むとともに何かしらの大きな環境変化の選択を強いられてきました。
自分がこの先何をしてどうなっていくのか、もう全く不明。カオス。
それほど自分の周りが目まぐるしく変わっていくと、飽きを感じる暇がないというか。環境に対して飽きる筈もないですよね。
社会人になると、それがなくなる。
なくなるというか、自動的に環境の変化が起きることがだいぶ減ります。
このまま何もしないとこの延長線上を進んでいくというか、変化が起きないというか、自分の行く末がぼんやりと見えてきてしまうというか、そんな人生の既視感に襲われます。飽きる。
自分で転職したり留学したり結婚したり合コンしたり新しいこと始めれば、少しは和らぐと思うんですけどね。
なぜ飽きたと思うのか。人間すごい多い。
人間ってめちゃくちゃ多いですよね。
日本人は約1.27億人
世界の人口は約73億人
人類の累計は約1000億人
この世で人間は今までに約1000億の人が生まれては死んでいきました。
数字にすると100,000,000,000人。これだけの人が、それぞれの考えをもち葛藤し喜び悲しみ愛し生きてきたわけです。
そうすると、ぼくという1人の人間が考えたことなんて、とうの昔に同じ悩み・考えを抱き葛藤した人がたーくさんいたわけです。もちろん全く同じ環境の人はいないのですが、悩みや考えの本質は同じはず。
そう思うとめちゃくちゃ萎えませんか。
こういった「人生が飽きてきた。なんでだろう?」と考えることも、過去に数え切れない人が同じことを考え、ぼくが死んでからもさらに数え切れないほどの、それこそ無限の人が同じことを考えるわけです。
それでも明確な答えはなく、またそれぞれが同じ悩みを抱え時には同じ答えにたどり着き死んでいく…
茶番じゃないか\(^o^)/
ぼくが神様なら「またこの人間も同じこと考えてるよwwwおもろwww」ってなります。
なぜ飽きたと思うのか。どうせそのうち死ぬ。
人間はみんな死にます。今20代のぼくも60~70年後は天に召されています。
そう思うと、何をしても「まあどうせ死ぬしな…」という気持ちになります。
今一生懸命仕事してもどうせ死ぬし、映画見て感動しても一過性のものでどうせ死ぬし、美味しいご飯食べて気分良くてもどうせ死ぬ。
楽しいことをしていても、その時の気持ちはその時だけのものであるし、60~70年後にはそれがなくなります。
そう思うとひどく萎えてしまうというか、何しても仕方ないな…死ぬしな…と思い人生が飽きてしまう。
これは結果を重視しすぎている。
多分これはぼくの悪い癖なのですが、過程を軽視し結果を重視しすぎてるがゆえにそう考えてしまいます。
自分にとっての人生の結果は、所詮何をしようと「死」です。
何をやったかで後世に残せるものは変わりますし、それを目標に頑張れることは素晴らしいですが、それでも死後、自分ではその功績を感じられませんし死んだら終わりです。
そうやって結果のみを考えてしまうと、本当に何をしてもくだらないと思えてしまう。
なので、人生に飽きないためには「過程」に意味を見出す必要があります。
どうせ「死」という結果が決まっているなら、その過程の「生」を楽しんだ方がいいに決まってますよね。
過程を楽しむためには?
結果が同じなら道中楽しんだ方が絶対にいいですよね。その方が合理的です。
いまぼくは、自分の行動を客観的に眺めてしまい萎えてしまうことが多いのですが、その一方でやっぱり面白い映画を見たら感動するし、美味しいご飯を食べたら幸せを感じます。
なんでなんですかね。何かにのめり込みすぎないように無意識にいろいろ考えてセーブしてるんですかね笑
そういう瞬間もあるので、なるべく客観的に見る自分の脳を騙し、過程に没頭できるようになれたらいいなあーと思います。
見てきた世界が狭すぎるので、いろんなものを見たら考え方が変わるかもしれません。
まあそんな風に考えることも、歴代で同じことを考えた人がごまんといるでry
では
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