ぼくは今26歳です。
26歳といえば世間的には完全に大人。多くの人は企業で働き数年がたち、結婚する人もちらほらいます。とはいえまだまだ若手中の若手。
あなたは何歳でしょう?20代?30代?はたまた60代でしょうか。
人の年齢は「生きた年数」で決まります。が、その数字にどれだけの意味があるのか?と考えさせられる出来事がありました。
それが、「オランダで20歳若返るために裁判所に申し立てた69歳の男性」の話しです。
目次
オランダで20歳若返るために裁判所に申し立てた69歳の男性。
先日、とあるニュースがありました。
表題の通り、オランダの69歳男性エミール・ラーテルバントさんが、自身の年齢を20歳若がえさせるために裁判所に申し立てをしました。
自身の「69歳」という年齢が、恋愛や仕事において差別を被り、可能性を狭められているとのこと。
また、医者によると、ラーテルバントさんの生物学的年齢は40~45歳の間だといいます。これだけの申し立てをするぐらいだから、ラーテルバントさん自身の精神も、いわゆる「69歳」のそれではないでしょう。
年齢によってできること、できないことがある事実。
今の世の中、年齢によってできることできないことが大きく変わります。
就職しかり、恋人しかり、世間の目線しかり… 最近転職市場で求人を見ますが、「35歳以下の方募集」がなんと多いことよ。
本気で望み行動してみたら、年齢に関係なく達成できるかもしれませんが、それでも達成の難易度は全然違います。
もちろん歳をとっているから優位に働くこともあるわけです。
ようは、ぼくたち人間は、「年齢」と言う数字にとても左右され支配されていますよね。日本は特にそういう固定概念やルールが強いように感じます。以前暮らしていたセブ島はもっと年齢に関して寛大でした。
人間の肉体的、精神的年齢こそが本質では?
「人間の年齢」って何で決まるのでしょう。
それはもちろん、ただただ生きた年数です。20年生きれば20歳だし、100年生きれば100歳です。
一方、「人間」はなにで構成されているのでしょう。
それは、「肉体と精神」ですよね。どんな人も、この2つが同居しその人なしえています。
先ほど紹介したラーテルバントさんは、生物学的年齢は40~45歳の間です。つまり肉体が40~45歳。
精神年齢を図ることは難しいですが、それでも自身で実年齢よりだいぶ若いと思っています。つまり精神も実年齢より若い、仮に肉体と同じ40~45歳としましょうか。
そう考えた時、ラーテルバントさんを69歳たらしめているものは、生きた年数でしかありません。だって心身共に本当の年齢は40~45歳なんですからね。年齢(時間)なんてものはただの数字であり、副次的なものにすぎなくなってきます。
「年齢」という本質的でない判断基準を撤廃したほうがより平等な世界に。
こう考えると、本当に年齢はただの数字でしかなく本質的なものではないですね。
今の世の中、望めば様々なものを変えられます。性別、家族、名前、性的趣向、国籍、人間関係、仕事、顔、などなど…。むしろ変えられないものなんてほとんどないくらいですよね。
そんな世界になってきたからこそ、年齢だって変えられてもいいのかもしれません。だって本人が本気で変えたくて、他の人に大きな迷惑がかかるわけでもありませんしね。
そうした方が、転職や恋愛や世間体など、その他もろもろの年齢による弊害から解放され、幸せになる人も多いはず。
まとめ
今は26歳ですが、もう第二新卒も終わり転職するなら純粋な「中途」で入社する年齢になってしまいました。
もちろんまだまだ若いけど、日々すぎゆく時間の中で自分の年齢に恐怖を感じてしまいます。
なので早く、日本でも自由に年齢を変えられる法律ができたらいいですよね。
35歳だけど26歳的な。まあ一旦年齢変えてもどうせまた歳をとってしまうので、老いからは永遠に逃げられませんが。
そんなことを、このニュースを読んで考えました。
ちなみにこの申し立ては、2018年の12月頭くらいに結果が分かるそう。まず通らないかと思いますが、でも楽しみです。
ではではー
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