小学生の頃、自分には理解できない価値観があることを友達の言葉から学んだ。

理解できない価値観を学んだ

こんにちは。やす(@yasuyuk0430)です。

 

小学1年生の頃、ある出来事でぼくは「世の中には理解できない価値観があるんだな」ということをぼんやりと学んだ。こう言語化できたのはしばらく後になってからだけど、この考えに至る基盤の気持ちというのはその時抱いた。

小学1年生の記憶なんて99%以上覚えてないし、全てがぼんやりと霧がかった感じがするけど、この感情を抱いたことは鮮明に覚えている。

 

小学校の時、足の速い子供はヒーローだった。

男子小学生にとって「足の速さ」というのは、学内ヒエラルキーの頂点に立つための必須要素だったのはいうまでもない。

ぼくは今でこそ、読書や映画や音楽が好きな引きこもり系男子だけど、18年くらい前の小学生の時は、運動が大好きで足も速く、運動会のリレーの選手なんかやったりしてた。マラソンの順位1桁だったし、ドッチボール大会のリーダーをやったりしてた。今からじゃ本当に想像できないけど笑

そんな時、クラスの足が速い何人かで、誰が一番走るのが速いのか競争して決めようという話になった。

足の速さに自信があった僕は、それに賛成した。

学校の屋外プールそばの校庭での話だ。18年前の話だけど場所までちゃんと覚えている。

 

原田君は足が速いけど走りたくないと言った。

その時、クラスの中でも足が速い友達の原田君がいた。

当時は仲がよく、ぼくが学校を2,3日休むと(思えば小学生の時からよく学校をサボっていた笑)とても心配して、家までお見舞いに来てくれるような心優しい子だ。

その原田君が、競争をする時に「疲れるから全力で走りたくない。」と言った。

 

走らない理由が僕は理解できなかった。

このことを僕はすごい覚えている。なぜなら、当時の僕には「疲れるから走らない」という考えが全くもって理解できなかったのだ。

今でこそ走ることは、汗もかきとても疲れるからしたくない。走れば間に合うような時も走らず遅刻したりする。できるだけ走らないように生きてきている。ジムに通った時も走るのはとても疲れるし嫌いだ。

しかし、当時6歳の僕には、「走ると疲れる」という概念がなかった。文字通りぼくの辞書に「走ると疲れる」という言葉がなかったのだ。

もちろん走ったら息はきれるし少しは疲れるんだろうけど、それは当時の僕にとっては雲の流れの速さくらいどうでもよかった。少し休んだら元どおりになるし、「疲れる」が理由でこの大切な決闘から降りることは大罪に思えた。

 

結局原田君は走ってくれた。

疲れるから走りたくないと言った原田君も、ぼくたちみんなが「走れよ」と促したので、集団の暴力に負け最終的にちゃんと走ってくれた。確かグループの中では足はそんなに速くも無く、僕らの自尊心はその時満たされた気がする。(あんまり覚えていない)

しかし当時のぼくは、この「疲れるから走りたくない」という原田君の考えがどうしても理解できず、生意気ながらも幼いなりにそこに悩み考えていた。

24歳の今でもたまにこのことを思い出すくらいだから、相当ショックだったに違いない。

 

それが理解できないことの理解へのきっかけだった。

思えばその出来事が、ぼくが「理解できないこと」を「理解はできないけど許容する」というスタンスになれたきっかけだったんじゃないかと今では思っている。

ぼくは理解できない何かがある時、最初は理解できないなりに理解しようと努める。でもそれが無理になった時は「理解はできないけどそういう考えの人もいるんだ」という風に割り切ることができる。まあたまにどうしても割り切れない時があって喧嘩したりするんだけど、基本的には割り切れる。

 

ぼくの好きなものは、世の中に好きな人がたまたまたくさんいるだけ。

ぼくは読書や映画鑑賞やギターやお酒が大好きだ。ギターは最近飽きてしまったのだけど、まあ好きだ。

だけどそれは、ぼくが好きなものがたまたま世界に好きな人が多かっただけの話。だからぼくが「読書が好きです」とか「映画が好きです」と言っても変に思われない。

もし世の中に「逆上がりしながらみかんの皮を剥くことに性的興奮を覚える」とか「トイレの便器の形状がたまらなく好きでずっと眺めてる」ような人がいたとしても、もちろん驚くしめちゃくちゃ興味は湧くんだけど、「まあ世の中には理解できない価値観があるからな」って思える。

むしろ普通じゃない価値観を抱くことというのは、世間が好きだから好きなのではなくて、本当に自分が好きなことを自分で自覚できていることなので、素晴らしいし羨ましくも思う。

前に書いた記事「主に100kg以上の女性写真家Pokoさんから学ぶ、カメラマンと写真家の違いとは?」でも紹介したけど、100kg以上の女性にこの世で一番の美しさを感じる写真家さんも、たとえぼくがそこまでの美しさを感じることができないとしても、そんな価値観を持つ人はこの世にたくさんいる。この写真家さんの写真はとても美しいけど。

 

 

まとめ

なんだか何を言いたいのかまとまってない気もするけど、要はぼくは小学1生の時に原田くんの「疲れるから走らない」という言葉で、世の中には理解できない価値観があることを学んだ(今では理解できるけど)。これが心にずっと残っているから書いておきたかった。

そして、そういう理解できない価値観ゆえに生じるいじめや貶し合いみたいなものが多いけど、それは自分が理解できない相手の価値観を認めてあげたら、ちょっとは減るんじゃないかなあと思いました。

本当に譲れなかったり理解したくない価値観だったら、全然喧嘩してもいいと思うんだけどね笑

 

特に会社はそういうことでの小言の言い合いが多いから、そこはぼくも気をつけようと思います。

 

みんな違ってみんないい!

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