人と比べて自己嫌悪になることが無意味な理由。

自己嫌悪無駄な理由

セブ島留学残り3日。やすです。

 

僕は現在、セブ島で13人のクラスメイトとルームシェアをしています。20歳~30歳の男12人と、16歳のJK1人です。

このうちの男12人とは、文字どおり毎日顔を合わし半年間を共に過ごしてきました。いやー長かった。むさかった。

半年間全員同じ授業を受け、ビジネスとプログラミングと英語を学びましたが、これだけ一緒にいて同じ授業を受けていると、お互いの実力や習熟度が手に取るようにわかります。「〇〇はプログラミングのここが僕より理解している」とか「〇〇のプレゼンテーションはこの中でも2〜3番目にうまい」とか。

そうすると、だんだんクラスメイトと比べて「ああ、なんでわいはこんなにアホなんや…」と自己嫌悪になることがあるし、なっているルームメイトが結構います。ちょっと黒い感情がモヤモヤ湧き上がってきたり。

しかし、そんなことで自己嫌悪になっても愚かで無意味で時間のむだむだむだ。

 

その理由について綴っていきます。

 

そもそも比べるのってそんなに悪いこと?

人と比べることは、そんなにいけないことでしょうか。僕は、大切なことは「比べたらいけない」ではなくて、ようは心の持ち方だと思います。自分の幸せに通じるならいいわけで。

イチローのようになりたい少年が、イチローと自分を比較して打ち方を研究したり、トレーニングメニューを真似することはとてもいいことですよね。比較するからこそ生まれるモチベーションや成長は確かにあります。

しかし、人と比べて「自分はダメだ…」とか「あいつむかつく」とかそういうネガティブな方向に向いてしまう感情は絶対よくない。幸せから遠のいていきます。早急に変えなくてはいけません。

 

できないのは、頭が悪いからではない。

目の前にあることができないのは、頭が悪いからではありません。結論を言うと、ただ「やったことがないから」です。

半年前、12人でせーっのでプログラミングの勉強を始めました。何人かは事前にプログラミングを学んだことがありますが、基本はみんな同じレベルのスタートラインです。

そして勉強し続け3ヶ月。同じ授業を受けているはずなのに明確に習熟度に差が出ていました。英語に関しても同じです。

同じ初心者なのにどうしてここまで差が出たのでしょうか。

 

そもそも人は皆バックグランドが違う。

人は皆、育ってきた環境もやってきたことも千差万別で全員違います。同じ人なんて全くいない。

勉強を始めた時期が全く同じだから、頭が良い悪いというふうに見えてしまいがちですが、それはその人が過去に「プログラミング」に、直接的でも間接的でも必要となることをやってきた故に、ただ理解が早いだけだと思います。プログラミングは論理的思考がとても大切で、数学と似ているところがあります。だから、数学ががっつり勉強した人はプログラミングの理解が比較的早い。ちなみにプロ棋士の得意科目は、数学が圧倒的に多いらしいです。

テニス部がバドミントンや卓球をやった時、みんないきなりうまいですよね?あれも、テニスで必要な能力が卓球やバドミントンでも応用が利くからです。

上記の例は見ていて明らかですが、これが見えないと「自分ができないのは自分がダメだからだ。」となってしまいます。

 

僕は文章をちゃんと書くのはこれが初めて。

僕は今までろくに文章を書いたことがありません。小学校の読書感想文も親にやってもらっていたし(思えば小学生の時からすでに宿題とかまともにやってなかった笑)、作文とかも最低限しか書いていない。大学でも論文はwikipediaコピーしたものしか書いたことないし、卒論もプレゼンだから書いていない。

しかし今回このブログを書いてみて、自分の文章の下手さに毎回辟易するし全く納得はいかないんだけど、それでも僕の文章を「伝えるのがうまい」と褒めてくれる人がいます。ありがとう嬉しい。

きっとそれは、僕が人より頭がいいからとかでは全くなくて、僕が幼い頃から比較的本を読むのが好きで、文字に触れる機会が多かったからだと思います。ただ「文章を書くのに必要なナレッジ」がたまたま自分に少しだけ蓄積していただけのこと。

逆に僕は、小さいころから絵を描くことが全くなかったし、妄想とかもしてこなかったので、何かをデザインするというクリエイティブ系はとても苦手です。ナレッジが全然溜まっていない。前に僕がデザインが苦手で嫌いな理由をもっと詳しく書きました。

僕がデザインがうまくいかなく愛せない、というか嫌いな理由4選。

2017.03.14

 

このナレッジの蓄積があったかどうか。

初めてやったことがうまくできるかできないかは、このナレッジの蓄積があったかどうかに起因します。もちろんやる気とか自習とかは除いて。そういう意味ではやっぱり高学歴の人って強いと思います。彼らは学生時代の膨大な勉強量によって、「効率よく理解し覚える」ナレッジがたまっているからです。

そしてこのナレッジは、なるべく万物に共通して必要なものだと望ましいです。「論理的思考」とか「理解力」とか。そしてそれらのナレッジが万物に活用できて溜まりまくっている人が、いわゆる「頭のいい人」だと思います。

 

ナレッジのない場合はどうするか。

自分が目の前のことができないのは、ただナレッジの蓄積がないだけです。

ならばただ溜めればいいだけです。

以前僕はブログを書くメリットを書きましたが、

僕がいますぐブログを始めることをおすすめする7つのメリット。

2017.02.23

ブログを書くとか本を読むというのは、やはりいい手段だと思います。やってて楽しいしね。

 

そのコミュニティーで比べても仕方ない。人はどうでもいい。

人と比べて自己嫌悪になることが無意味という話に戻ります。

その小さいコミュニティーで自分の順位付けをしても仕方ありません。そのコミュニティーがすごい人の集まりだったら、世間一般で見たらあなたはすごいし、できない人の集まりだったらそこでいくら一番を取ろうが、世間から見たら普通かもしれません。

もっと言えば、そこでの人はどうでもいいと思います。大切なのは自分自身の「これでいい。」という納得感。自分が満足いく結果や能力があれば、それでいいと思います。人はみんな違ってみんないいんですから。その満足いく結果が「他人より優れたいこと」だと、なかなか幸せにはなれないと思います。

今の魔王を倒してもまた更なる魔王が生まれ、永遠に立ち向かって行かねばなりません。

 

わからない人には、わからないなりのいいところがある。

できなかった、わからなかった経験は、今後とても役立つと思います。ナレッジが無くうまくできなかったが、それを一生懸命克服してできるようになった人というのは、できない人の気持ちを理解できるからです。

意外とできない気持ちを理解している人は少ないように感じます。僕も含め。

プログラミングが分からなすぎることとか、英語が話せない気持ちとか、将来できるようになった時のためになるべく覚えておくようにします。

 

まとめ

自分がうまくできないのは、それに関係するナレッジが自分に溜まっていなかっただけ。

言い換えると、ただやったことがなかっただけ。

だから自分を責める必要もなく、ただこれからやればいいだけですよね。それだけの話や。

 

そうは言っても、やはり自分の不甲斐なさを責めてしまうもの。

そういう人が、この記事を読んで少しでも心穏やかになってくれたら嬉しいな。

 

ではではー

自己嫌悪無駄な理由

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です