セブ島留学残り12日。やすです。
今僕はアクトハウスという留学のプランに参加しており、そこで現役フリーデザイナーさんからデザインのイロハについても学んだ。
具体的にいうと、アドビのphotoshopとillustratorの使い方といった基礎的な部分はもちろんの事、デザインとアートの違い、デザイナーとしての心構え、クライアントに対するヒアリングの仕方、ヒアリングした内容をもとに実際にwebサイトのワイヤーフレームを作り、photoshopで作成。などなど。
実際に案件としてお金を貰いサイトをデザインし、コーディングまで担当した。
プチデザイナーとして仕事をしてみて感じた事だけど、僕はまじでデザインが好きじゃない。もはや嫌い。デザインを考えている時間がとても苦痛に感じてしまった。(メンターさんごめんなさい。メンターさんは大好きです。)
そこで、なんでこんなにもデザインを考えている時間が辛いのか、自分なりに考えてみた。
目次
どこかで論理的でない思考が必要になるから苦手。
デザインは、論理的ではなく、自分の感性に従って物を作っていく場面に出会う。「デザインなんだから当たり前じゃん」と思うかもしれないが、ちょっと聞いて欲しい。
前提として、デザインはガチガチの論理
初めにまず誤解して欲しくないことは、デザインは圧倒的に論理で成り立っているということ。論理がないデザインはありえない。僕たちが、とあるデザインを見て抱く「綺麗」とか「スタイリッシュ」とか「ダサい」とか「優しい」という感情には全て理由があって、何を見てどう感じるかが僕たちの脳内にインプットされている。
サイトの文字のフォントは明朝体を使うと固く堅実なイメージだとか、人は横幅960px以上だと一度に認識しづらだとか、赤は食欲を増し緑は落ち着くだとか。
洋服のコーディネートなんて論理の最たるものだ。僕はそんなに詳しくないけど、黒いパンツに黒い靴を履くと視覚効果で足が長く見えるし、白は膨張色だから気をつけないと太って見える。また、日本人にとって服の「ドレス」と「カジュアル」のバランスが7:3が一番いいとされている。詳しくはググってみてください。
デザイナーさんはそういうことを熟知し、僕たちにデザイナーさんが期待した印象を見せている。
小さい頃から答えのある問題が好きだった。
一方僕も、小さい頃から答えのある問題を論理的に考えて解くのが好きだった。頭がだいぶ悪いからなかなかうまくいかないけど。笑
算数が大好きで解けないと何時間でも考えていられたし、将棋やカードゲーム(遊戯王なんて全てが論理的思考だ)が大好きで夢中になっていた。今も麻雀みたいな頭脳ゲームは好きだし、プログラミングも割と気に入っている。
じゃあなんで、論理的思考が大切なデザインを僕は苦痛と感じるのか。
感性で決めなくてはならない場面に出会う。
デザインをしていると、論理ではなく感性で色や配置や形を決めなくてはならない場面に出会う。
例えば下図のワイヤフレーム(webサイトを本格的にデザインする前に作る骨組みのようなもの)

僕はこれを作る時、そんなに苦痛じゃない。理由が明確だからだ。必要な要素(ロゴ、ナビバー、クーポン情報)を羅列し、どう配置したらお客さんが見やすく購買に結びつくか、それを分析して作ればいい。
しかし、これにいざ色を加えたり、写真を入れたりすると、もうだめ。お手上げ。一気に苦痛になる。
クライアント側が色の指定とか写真の素材をくれるとまだいいのだけど、「おまかせ」と言われると本当にわからない。「え、この色の次に何の色使えばいいの?」って、分からなくなる。全てに理由をつけられればいいのだけど、どうしても理由が見つからない時、それ以上先になかなか進めないし、その理由が無く感覚で何かを決めなくてはならない時、僕はストレスを感じる。
これはデザインのみではない。
困ったことに、こういう感覚になるのは、何もデザインに限ったことではない。僕は何かを「生み出す」時にこういう感覚になる。
音楽も、作曲をしようとしたことはあるのだけれど、あるメロディーの次に何のメロディーを続けたらいいのか理由が感覚的なもの以外見つからないし、それを考えるのが楽しくない。
僕はこのことが自分の中で大問題で、アーティストはカッコいいと思うけど僕は根っからアーティストではないのかなと思う。24歳でこれを決めつけてはいけないと、周りの人には怒られるけど。
下手くそでも楽しいならいいんだけど、僕の場合は本当に楽しいと感じることができない、、、
細かいことはどうでもいいと思ってしまう。
僕はA型で、細かいと思われることが多々あるんだけど、基本おおざっぱだ。というか、すぐ「どうでもいい」と思ってしまう。
デザインをしていると、その性格が謙虚に表れる。
デザインは、まさに細部にこそ神が宿る。細かで計算され尽くしたレイアウトや配色や文字間が、僕たちの感情を揺さぶるようなデザインになる。人の目はとても優秀で、1px(0.35mm)のずれでさえかすかに違和感を感じてしまうから、そういうずれがないように完璧にデザインをしないといけない。
しかし、僕はその重要性をわかっているつもりだけど、なんかもうどうでもいい。
もういいやー、めんどくさいし。ってなってしまう。
こういう細かいところにまでこだわることができる人そこ、デザイナーに向いていると思う。
視覚的に美しいのは大好き。でもそれを作るのは楽しくない。
僕は前に、美しいものが好きとブログで書いたけど、
それを自分で考え生み出すのは好きじゃない。
できたらカッコいいと思うし、できる人をとてもとても尊敬しているんだけど、自分でやるのはどうしても楽しいと思えない。これに関してはアウトプットよりインプットが好きだ。
おしゃれは好きだ。でも、服を選ぶ過程はとてもめんどくさいからもう誰かおしゃれな人に全部選んで欲しいと思っている。
素敵な空間にはいたいけど、それを作るのは楽しくない。
愛深いゆえに、愛せない。
デザイナーのメンターさんにこのことを相談したら、「やすくん、それは愛ゆえだよ!愛しているからこそ、愛せないんだよ!」と言われた。
最初は「はあ、、、(何言ってんだ、、、?)」って思ったけど、もしかしたら僕が気づいてないだけで一理あるかもしれない。
恋愛でも、相手を愛しすぎた故に見返りを求め、相手はそれに応えてくれず、だんだんと愛が憎悪に変わることがある。
それと同じで、僕も本当はデザインが大好きでできるようになりたいけど、デザインがそれに応えてくれず(自分がうまくできず)それ故嫌いになってしまったのかもしれない。
うまくできると大抵楽しいし、うまくできないと大抵楽しくない。もしかしたら、こういう葛藤と付き合いながらデザインを学びできるようになったら、楽しいと思える日が来るかもしれない。わからんけど。
まとめ
僕は今、デザインに苦手意識を感じており、自分ではできないと思っている。だからデザイナーさんたちをとても尊敬している。個人的に、デザイナーさんの給料が比較的安くハードワークなのは許しがたい。
僕がデザインが好きじゃない理由は
・どこかで論理的でない思考が必要になるから苦手。
・細かいことはどうでもいいと思ってしまう。
・視覚的に美しいのは大好き。でもそれを作るのは楽しくない。
・愛深いゆえに、愛せない。
だと思う。
逆に言えば、これらが当てはまらない人は、とてもデザイナーに向いている。
でも、いくら好きじゃないからといって、やはりデザインとはお付き合いしていかなければいけない。外注するにしてもいちいちコストがかかってしまうから、自分でできるのが好ましい。
このブログを作るにしたって、デザインちゃんとできたらもっとかっこよくできるだろうしね。
デザインを愛せるように、もう少しデザインについて学んだり、色々なものを見てデザイン脳を養おうと思います。
ではでは。
初めてコメントいたします。
洋服のデザイナーとして働いています、25歳女です。
やすさんのこちらのブログを読ませていただき、共感で涙が溢れてきましたので、コメントさせていただきました。
どうしてデザイナーになったのか、なれたのか自分でも分からないほど私もデザインが嫌いで、細かいことを面倒だと感じてしまいます。もうみんな、白Tにデニムでいいじゃないか!と心のどこかで考えています。
ただ、私も美しいものやお洒落な服を見るのは大好きです。私ももっと素敵なデザインができるようになりたい、とも思います。
やすさんがこのブログを書かれたのは24歳の時とありますが、今でもデザイン続けられていますか?
楽しいと思える日が来るのでしょうか。
過去のブログに突然のコメント失礼致しました。
共感できる相手もなく、吐き出したかっただけかもしれないのでスルーしていただいて構いません。
まきまきさん
コメントありがとうございます
まきまきさんは洋服のデザイナーとして働いていらっしゃるんですね。
コメントで「デザインが嫌い」と記載ありましたが、それでもデザイナーさんとしてお仕事なされているということは、
きっとまきまきさんには、嫌いでも対価をもらえてしまうほど他の人とは違う素晴らしい洋服のセンスや努力があるのだと勝手ながら推測致します。
僕には絶対できない!僕も洋服が大好きなので、僕の最も憧れの職業の一つなのでとても尊敬します。
>やすさんがこのブログを書かれたのは24歳の時とありますが、今でもデザイン続けられていますか?
僕はデザインは続けていません。このブログ執筆時はエンジニアになるための勉強期間でして、デザインはそれに付随するおまけのようなものでした。
デザイナーへの憧れはあったのですが、デザインを学んだ際に自分には合わないと思い、すぐ将来の選択肢から外してしまいました。
>楽しいと思える日が来るのでしょうか。
無責任なことは言えませんが、「素敵なデザインができるようになりたい」という想いがあるなら、今より楽しめる日がいつか来るのでは無いでしょうか。
僕は今エンジニアを6年やっています。初めの1~2年は本当に何もできなくてただただ苦痛の日々で辞めたいと何十回も思いましたが、嫌いながらも勉強し長く続けたところ、少しづつですができることが増え、ここ数年楽しいと思え夢中でコードを書く機会がだいぶ増えてきました。
同じように、もし「出来ないこと」が起因で嫌いになってしまっているのであれば、時と経験が解決してくれるかもしれません。それでもどうしてもデザインを考えるという行為辞退に希望が持てないなら、また別の道を探すのもいいかもしれませんね。ここまでデザインを学んだ経験は、きっと今後の人生でも大いに役に立つご経験かと思います。
このコメントが届くかどうかもわからないのですが、少しでもまきまきさんの心が軽くなれば大変嬉しいです。
お互い人生程々に頑張りましょう。