昔からアニメや映画や漫画や小説など、「物語」に関わることとても大好きでした。外に出てみんなとワイワイするよりは、どちらかというと家で漫画を読んだりゲームしたりする方が好きなインドアな少年でした。小・中学生の頃はゲームにはまり、テイルズシリーズを熱心にやっていたのはいい思い出です。アビスまたやりたいな。
最近そのインドアさに拍車がかかり、時間が空くとずっと見てしまいます。ずっとです。漫画見て小説読んで映画見てアニメ見て漫画見てをループしています。最近のマイブームは映画。一人映画の日々です。昨日「人生フルーツ」という映画を見ましたが本当に面白かった。
ふと自分は、というか人間はなぜ人が考えた空想の物語を熱心に観るのか、疑問に思ったので書きます。メモ程度に。
目次
ストレスが無く限りなく受動的な行為だから
「人に会う」というのはとても労力を伴いますよね。ぼくのような内向型人間は特に多大なエネルギーを消費します。
正解がないものを考えるために脳を使う行為もめちゃくそエネルギーを消費します。例えば今みたいに文章を書くとか、プログラミングをするとか、人の相談に乗るとか。ブログの執筆なんてかなりのMPが削られます。だからなかなか更新できないという笑 麻雀や将棋など「最適な解」が決まっていてそこへの道筋を考える行為は前述に比べMPの消費が幾分少ないです。
しかし漫画、映画、小説、アニメを観るというはストレスがほとんど無く限りなく受動的な行為。「 DVDを借りる」「漫画を買う」というのは主体的行為ですが、それも微量の労力ですしそれが終わっちゃえばこっちのもん。映画は再生すれば流しっぱなしだし漫画もページをめくる労力のみ。HPもMPもほとんど消費されません。
そういう、「ストレスが無くそこにかけるエネルギーも少なくかつ面白い」というのは意外と少なく、めんどくさいことが大嫌いなぼくのような人にはハマるわけです。
働くのが嫌でニートになっている人が、アニメや漫画にハマるのも同じ理屈だと思っています。そういうニートになるということは、ストレス耐性に弱くめんどくさがりで(一概に決めつけてはいけませんが)、そういう人には「物語」はドンピシャです。
ストレスがほとんどない「物語鑑賞」ですが、それでも多少の違いがあり、ぼく個人としては「漫画<アニメ<映画<小説」の順で負荷が高くなります。ストレスというか主体性というか。映画は2h拘束されるしやはり活字を読むことは少し疲れます。だから何も考えないでいるとついつい漫画にはしってしまいます。漫画楽しい。
登場人物の人生を限定的に体感できるから
物語を観ると、意識せずとも主人公やヒロインたちに自分の身を投影し、立場や感情を考えます。そして、「その立場に立ちその時自分ならどうするか」を考えるからこそ「共感」の有無が生まれます。
そうやって観るからか、あたかも自分がその世界で体感しているかのように錯覚します。実際にはもちろんしていないけれど、映画の主人公の何%かはおすそ分けをしてもらってる気分です。
有名ファッションブランドのデザイナー、スラム街の暴行事件、美女とのラブストーリー、宇宙戦争、無人島での一人暮らし、天才スパイの潜入ミッション。これらは普通に生きていたらまず体験できませんが、それらの体験を物語を通して自分の血肉にできるのはとても楽しく、そこに魅力を感じます。ルフィになりたい。
それを観た人と共感したいから
物語をたくさん見ていると、それを見たことがある人との共通言語が生まれます。
「映画」「漫画」「アニメ」「小説」 のどれも好きじゃない人というのはあまりおらず、たくさん見ていると大抵どれかに引っかかります。セブ島に留学していた頃も映画や日本のアニメ(フィリピン人はハンターハンターやコナンや幽遊白書やドラゴンボールが大好き)の話で大盛り上がりすることができました。
また、自分が大好きな作品を相手も大好きだと嬉しいですし、好きな作品が似ている人とは自分の根底の考え方や価値観や琴線に触れる部分が似ていて、なんだかその人を前より理解し合えたような気がします。少しだけ。逆もしかりです。
新しい価値観に出会うから
これ。これがぼくの中で一番大きいですし、自分の行動意欲に直結します。
ぼくは昔から、人が何かを思ったり行動する時に「なぜそういう思考にいたったのか」「なぜそれを〇〇だと思うのか」ということにとても興味がありました。特に自分には表面上理解できない場合はもう解明したくて仕方がありません。世にも素敵なハイブランド「dries van notten」の服を生み出すデザイナーさんの、服を考える時の思考のプロセスはどうなっているんだろう?とか、収入やモテや物語に全く興味のない会社のプログラマーの先輩は、何を大切に思い何に楽しさを見出し生きているのだろう?とか。
この前読んだ「実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。 | くらげバンチ」なんてもう興味しかありません。(※少々過激な性的描写を含むので苦手な方はご遠慮ください。)

暴力を受けることでしか興奮できない被虐趣味を持つ私。
ある日、人に言えない欲望を自分の中に溜め続けた日々に限界が訪れた――。
「生まれてはじめて泣くまで殴られた。その時、生まれてはじめて恋に落ちた。」
23歳、処女、恋愛経験なしだった作者のちょっと過激な初恋エッセイ。
何それ、、、「暴力」なんてただ痛いだけでそこに快感や興奮なんてあるわけないやん、、、と思ってしまうので、どうしてこの作者はそこに快感を覚えるのか、そんな人がどう感じ恋に落ちてしまうのか。その思考が不思議すぎて気になって仕方ありません。全話無料ですし連載中ですのでぜひ読んでみてください。すごい面白かった。
前述の通り、そこへの思考のプロセスに対しての好奇心が人よりも強いみたいです。自分が「こういうことに好奇心を抱く」ことについても常々「なんでだろ?」と疑問に思ってます。多分幼少期の父の影響な気がします。
話が逸れましたが、物語を観ていると登場人物たちは十人十色別々の価値観・考え方を持っています。そうするともちろん自分とは全く異なった考え方を持っている人がおり、その人の考え(のプロセス)を知れることがとても面白いです。その考えに至った背景(教育、国、宗教、友達)があり、「その人がそう考えた背景」が暗にでも示されているとさらに良い。
そして、そういう自分には理解できなかったり納得できない考え方な人と物語で出会っていると、現実世界でそういう人に出会った際に「ふむふむこういう人は〇〇の映画でもいたな。この人はもしかしたら〇〇な背景がゆえに〇〇な思考をしていて〇〇と言っているのかもしれない。」と、理解できない部分を自分なりに考え歩み寄ることができます。人を決めつけてしまうのはよくないし、セグメントされるのは嫌なのでほどほどにしていますが。
アニメ・漫画・映画・小説等の物語を観るメリット。
一番のメリットは「楽しい」です。ただただ楽しい。ですが、それ以外にあげるとしたら上記で述べた通りの「新しい価値観に出会うから」だと思います。
いろんな価値観に触れると、次に同じような価値観を持った人と出会ったときに理解ができやすくなり、物語に触れれば触れるほど、人を受け入れる「受け皿」のサイズが大きくなっていくものだとぼくは思っています。何事も本人にその意識が無いとダメですけどね。
そもそも「人」が物語の塊
そう考えるとたくさんの人の話を聞くこともたくさんの物語に触れることと同意で、だからぼくは自分の話をするより人の話を聞くことが遥かに好きなんだと今腑に落ちました。本当はそうやっていろーんな人と出会って話をしまくることが「受け皿を広げる」という意味でも効果的なのですが、ぼく自身はどうも人と話をするのって気が乗らないことが多いんですよね、、、
ぼくはとてもモノグサの面倒くさがりやの引きこもりなのですが、それでも旅行は好きです。それは、物語を観ることと同じ理由にある気がします。旅行も、まだ見ぬ価値観に出会う旅を行うことですもんね。それが風景なら、それを自分の中で見つけ折り合いをつけるのでしょう。
「限りなく受動的な行為だから(ストレスが少ないから)」という理由以外で物語を見ている人は、旅行好きな人が多いように感じます。もしかしたらここに相関関係があるのかもしれませんね。
まとめ
なんだか完全自己満な記事になってしまいました。人間の脳は本当に不思議でそこへの興味は尽きません。
以前友達に「やすは物語が好きだから、物語がある人が好きなんだね」と言われたことがありますが、本当にその通りだなあと思います。鋭い。
自分の物語を早く働かない物語にしたい笑
この前ゲイバー行ったらめちゃ面白かったので、どなたか一緒にゲイバーかストリップかプロレスかSMバー行きましょー
共感しました