「あちらのお客様からです。」
バーのマスターが言った。そして冷たいハートランドを僕の前に差し出した。
突然のことで混乱している僕に、ふた席隣の60代と思われる男性が微笑んでいる。
「よかったらどうぞ」
大学時代の友人との飲み会で疲れ切っていた僕には、この優しさがとても嬉しかった。
僕はその日、大学時代のサークルの同窓会に参加していた。
「だからうちの会社はダメなんだよ」
かつての友達が言った。
彼は今、自分の行きたかった大手企業に勤めている。
それに合いの手を入れるかのように、次々に会社の悪口を言う友達。
自身の会社の悪いところを肴に、酒を飲んでいる。
つまらないな。と思った。早く帰りたい。とさえ思った。
大学を卒業してから丁度一年。
音楽で壮大な夢を歌っていたあの頃とは変わって、友との会話は会社と上司の悪口ばかりになってしまった。
奇抜だった髪型も服装も、今では黒髪ショートのスーツだ。
「やすの会社はどう?」
友人が尋ねた。
この質問をされる時、僕はいつも何と言うべきか考えてしまう。
残業が多いだとか、給料が安いだとか、先輩に腹が立つだとか、会社の愚痴を言いだしたら枚挙に暇がない。
ただ、
その愚痴を言う事で、このぬるいビールが美味しくなるわけでもないし、愚痴の言い合いで会話が弾む事に喜びを感じたくもない。
何より、そんな愚痴を言っている自分が嫌だった。
そうして今日も、例によって「ぼちぼちだよ」と答えてみる。
友人は、僕の期待外れの答えに、興味があるのかないのかわからないような相槌で答えた。
僕は、こういう飲み会があまり好きじゃない。
というより嫌いだ。
愚痴を言っている友達に嫌気がさす自分を見たくないからだ。
生産性のない愚痴を語り合うくらいなら、近所の猫の頭でも撫でていた方がよほど有意義な時間の使い方だと思う。こんなこと言って、僕も度々会社の愚痴を漏らしてしまうのだけれど。
そして、そんな飲み会に出席した僕は、とても疲れていた。なんでこんなに疲れたのかわからない。
地元の駅に着いてから思った。もう一杯静かに飲みたい。
酒と一緒にこのモヤモヤを流し込みたい。
しかし、僕の住んでいる地元の駅には圧倒的に飲み屋が少ない。チェーンの居酒屋なら幾つかあるが、一人でゆっくり飲めるところは皆無だ。
いや、、、あった。一つだけ。
僕はそのbarがずっと気になっていた。
駅からすぐ近くのビルの三階にある、メニューも内装も写真も何も見えない、ただビルの一階に、白い画用紙に手書きで『bar M』とだけ書かれている。
どうみても怪しい。けど、その日はそこに行くしかないと思った。そこに行くことだけが、このモヤモヤを拭いさる唯一の手段のように思えた。
そうして、階段をあがってみる。
緊張していた。
初めて行くbarはどうしてこうも緊張するのだろうか。
入り口の前に立つ。中を覗くと、お世辞にも綺麗とは言えない内装と、カウンターに座っているおじさんがタバコを吸っているのが見える。
あ、これ好きじゃないやつだ、、、
やはり帰ろうと思い、後ろを振り向いた。その瞬間、『一期一会』という文字が目に飛び込んできた。壁に貼ってあるのだ。
なぜこの言葉が壁に貼ってあるのかわからない。多分僕と同じように、barの入りづらい景観を見て帰ってしまう人に向けた店主の苦肉の策だろう。
まんまとハマった。
僕はこの言葉を大事にしたいと思っている。人と人との出会いは全てが奇跡的で、その瞬間を大事にしていきたい。なかなかうまくはいかないけど。
僕を引き止めるには十分すぎる四文字だった。
こんな言葉を見てしまっては、もう行くしかない。
僕は『bar M』の扉を開けた。
店内は明るい。席はカウンターが8席、テーブルが2つのみだ。
カウンターには60代と思われる男性が一名。テーブルには50歳前後と思われる夫婦が楽しそうに焼酎を飲んでいる。
カウンターに座り、ハートランドを頼んだ。
今日の飲み会について、思いを巡らす。
なぜ僕はあんなにも、会社の愚痴を言い合うことに嫌悪感を覚えたのだろう。
不満不平を述べても、実際には行動に移さない友への苛立ちだろうか。
誰かの陰口を言い合い、軽薄なコミュニティを作っているのと本質が同じように感じたからだろうか。
ただ単に、「バカ」や「無能」といった綺麗じゃない言葉を聞きたくないだけだろうか。
どれも正しいだろうが、きっとそれだけではない。
多分、
自分も仕事に満足していないという現実を、友の言葉を通して直視してしまったからだろう。
自分の人生はもっと劇的であると、人とは違うと、思いたかった。
その場で不満を言わないことが、自分だけは他と違うという、最後の抵抗であるかのように思えたのだ。
そう結論付いた時、またため息がでる。
本当はわかっていたはずなのに、それをわざわざ言語化し再認識してしまう性分に嫌気が差した。
そんなことを考えていたら、いつの間にかグラスはカラになっていた。
そろそろ帰ろうかと思ったその時、バーのマスターが僕にハートランドを差し出した。
そしてこう言った。
「あちらのお客様からです。」
一瞬状況がよく理解できなかった。
バーのマスターに促されるまま横目に見ると、60歳代と思われる男性が優しく微笑みかけている。
「よかったらどうぞ」
まだ理解できない。
かろうじて最初に思ったことは、「これ映画で見たことある。」だ。
その後、次々に疑問が浮かんだ。
なぜ僕に?
この人は誰?
目的は何?
もし僕が容姿端麗な若い女性なら、それに見惚れた男性がお酒を奢ってくれることは、日常茶飯事のことで驚かないだろう。
僕も奢ったことがある。
しかし僕は男だ。
容姿も普通だ。
そんな男性に男性がお酒をおごるメリットが僕には分からなかった。
「酷く悩んでるように見えたから」
男性はそう言った。
そう言われ、その男性と乾杯しハートランドを飲んだ時、僕は泣きそうになった。
この人が誰なのか、目的は何なのか、そのことはわからない。
ただ僕は、このお酒に純粋な優しさを感じた。
会社での利害関係や今日の飲み会で、人に嫌気が差していた僕には、この優しさはとても温かかった。
そうして僕はその日、その人に救われた気がした。
そして、自分が歳をとった時、この人と同じように悩み疲れている人にお酒を奢り、優しく微笑みかけようと密かに誓った。
そうしてバトンを渡していくことが、自分の一つの使命に感じられた。
途中から後ろの席にいた老夫婦とbarのマスターも混ざり、5人で朝まで飲み明かした。
苦手な焼酎を勧められ飲んだが、やはり苦く美味しくはなかったけど、それを許せるくらい楽しかった。
僕は、その日初めて出会った人たちに、留学の不安であったり、お酒をおごってくれたことがいかに嬉しかったかなどを、酔っ払いながら朝まで語り明かした。
そうして、ハートランドは僕にとって、大切なお酒になった。
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