フィリピンセブ島留学に来て自覚した、自分の大切な1つの価値観。

セブ島で自覚した価値観

セブ島に住んで5ヶ月が経った。

日本に居た頃、留学をした友達からよく「留学したら価値観が変わったよー!例えば…」

というような話を聞くのだけど、どうも「価値観が変わった」という言葉がもはやコモディティ化しているというか大衆化しているというか、とてもチープな響きに感じてしまう。

そんなすぐ変わる価値観てなんやねん。と思ってしまう。

 

僕は今、セブ島に住んで5ヶ月目だ。

これが僕の初めての長期留学で、価値観が変わったというか、確かに色々と感じることはある。

それほど日本とフィリピンは、性格も環境も考え方も違う。

 

変わった考え方はおいおい書くとして、今回のセブ島留学で僕自身が気づいた自分の大切な価値観について、メモがてら書いておきたいと思う。全くまとまってなく恐縮だが。

 

本質は美しいもの。

自分で書いていて歯痒いけど、セブ島に来て僕はどうやら『美しいもの』が好きで大切な価値観だと気づいた。

『美しい』の絶対的定義なんてもちろんない。ある人は『赤』を美しいといい、ある人は『青』を美しいという。
人によって判断は違うし見方によっては美しくも醜くもなるので、矛盾が起きることなんだけど、でも自分の中で『美しい』と感じるものを見ていたいし触れていたい。

もちろんみんな汚いものを見たいわけはないし、美しいものに触れたいだろうけど、僕はどうやらその感情が人より強いみたいだ。

人、景色、感情、物語、食べ物、音楽、部屋、服、文章、などなど。

別に美しくないと受け入れられないとかではないし、時と場合によるけどね。

 

しかしセブ島は美しくない。

しかし僕の見ているセブ島は、視覚的に美しくない。

街並みや食べ物やお店や服装など、貧しい国というのもあるが視覚的にお世辞と言っても綺麗ではない。

海は綺麗だけど、僕が住んでいるところから綺麗な海を見に行くためには、そんなに気軽に行ける感じではない。

綺麗じゃないこと自体は全く悪いことではないのだが、だから僕はセブ島が好きになれないのだと思う。

もちろん、好きな部分もたくさんあるんだけどね。

 

何が美しいか。

じゃあ僕は何が好きで美しいと思うのだろう。

視覚的か内面的かの二種類に分かれる。

視覚的

みんなが美しいと思うものと一致していると思う。

広大な海やオシャレなカフェやバー、日本の伝統品やヨーロッパの街並み。子供の寝顔。星空。笑顔。雪。紅葉。桜。綺麗な女性。

などなど。あげたら枚挙に暇がない。

今このブログで使っている書式”Helvetica”とカラー#3e3e3eもとても綺麗だから、この文字と色に変えてから少しだけ文字を書くのが好きになった。

しばらく前に見た、フランス映画『アデル、ブルーは熱い色』は、レズビアンの話でストーリーが凄いいいかと言われたらそうは思わなかったけど、視覚的に美しすぎて見ていてくらくらした。

 

内面的

僕は、人が誰かを本気で思う気持ちは例外なく美しいと思う。

こんなこと言うと笑われそうだけど、人が人を好きになるなんてめちゃくちゃ美しいし素敵なことだ。

酔っ払って目の前でイチャイチャされるのは、欲望に満ち溢れてる感じがして全然好きじゃないんだけど、付き合いが長いカップルとか夫婦が仲良く話してるのを見ると、本当に幸せな気持ちになる。もう末長くお幸せになってくださいお願いしますっっ!!ってなる。

僕は学生時代軽音楽部に所属していたんだけど、その卒業ライブでみんなが誰かを思って泣いている姿は、本当に素敵だなあと思って脳裏に焼き付いている。

今月末に大好きな後輩たちの卒業ライブがあるのに行けなくて、本当に本当に残念で仕方ない。ごめんねみんな。動画本当に楽しみにしてるね。

 

文章でも、美しいと思うものは何度も何度も繰り返し読んでしまう。

森見登美彦さんの今度映画化される本『夜は短し歩けよ乙女』の描写はなんとも綺麗だし、僕が前に読んでぼろ泣きした本、川口俊和さんの『コーヒーが冷めないうちに』なんか誰かを想いまくってて描写も美しくてもう大好きだ。

ちなみにその記事はこちら。

『君の名は。』で泣けないあなたへ。僕が人生初ボロ泣きした本の話。

2017.01.28

 

なぜ美しいものが好きなのか。

自分の中で理由は100%解明されてないんだけど、多分3つ。

それを見るのが好き。

ただ単に、視覚的にも内面的にも美しいものを見て感じることが好きなんだと思う。

人はきっと、美しいものを見ることが好きなことが、遺伝子にブログラミングされている。

それらを見ていると、なぜだか落ち着くし、心が満たされる。

 

そんな自分が好き

人は好きなものがある場合、二種類のタイプに分かれる。

『それが好き』か『そんな自分が好きか』だ。

例えば食べ物の場合、自分の好みというのは変わることはあれどある程度決まっており、それは純粋にその食べ物の『味』が好きなのだ。僕は1人でパスタを食べる時は大抵カルボナーラを頼むし、それは純粋に味が好きだからだ。

一方、インディーズのアーティストが好きな人にたまにあることなんだけど、インディーズの頃は好きで応援しているけど、有名になった途端にファンをやめてしまう人がいる。真意は僕には分からないけど、その人は『音楽が好き』なのではなく『インディーズのアーティストの音楽を応援している自分が好き』なんだと思う。

僕は、美しいものに対して『それが好き』なのは間違いないと思うけど、『そんな自分が好き』というのもかなりある。美しい空間にいて、美しい何かを見ている自分が好きだ。

 

汚いものを見ずに済む

世の中の事象には全て理由がある。そして、僕が感じる『汚いもの』の汚い理由は、ネガティブなものが多い。

例えば浮気。生き物は大前提として『どれだけ種を繁栄させるか』に則って生きているから、浮気はある意味本能に従った自然な行為だと思う。でも浮気をすることは、理由はなんであれ自分のパートナーを裏切ることになるから、それはやはり良くない。

僕は、そういった人の嫌な部分をできるだけ見たくないんだと思う。

 

まとめ

誤解して欲しくないのが、美しくないものが悪いわけではないし、どっちが優れているとか比べるつもりもない。

こんなこと書いているけど、僕自身そんな素晴らしい生き方をしているわけでは全くなく、朝起きれないし嘘もつくし悪口もいうし気分やだし、かなりクズな部類に入る。

でも、僕はこういった美しい生き方を目指していきたいし、見ていたいなあ。

セブ島で自覚した価値観

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